この夏は、道頓堀も毎日まいにち暑いことでおました。梅雨明けが早かったせいもおまっしゃろな。長い夏でおました。その分、夏休み気分も味わわせてもろうてましたのやけど。
さて、八月の太郎寄席は、お馴染み桂文三師匠の会でおました。
今回のゲストは、里見まさと師匠でおます。
里見まさと、いうてもピンときはらへん方もいてはるかもしれませんが、かつて一世を風靡した漫才コンビ「ザ・ぼんち」の、まさと師匠でおます。「ザ・ぼんち」はいっぺん解散したのでおますが、10年ほど前に再結成して今もご活躍でおます。この間にまさと師匠は「里見まさと・亀山房代」という漫才コンビでも活躍してはりました。

さて、今晩のまさと師匠は講談でおます。旭堂南陵師匠に弟子入りして講談師としてのお名前もお持ちなのでおますが、さあ、いまさら一からの講談でもおまへん。もう話芸としては独自のものをお持ちでおますさかいな、そこはふつうの講談師さんとはちょっと違うようでおます。なんと言うても、まさと師匠は「声」がよろしおます。講談というより、「まさと節」でおまっせ。その「声」を、マイクなしに、生で聴けるというのは、「太郎寄席」のオトクなところなんでおます。
今晩のお話は「黄金の翁」いうて、上田秋成のお話からご自分で組み立てはった噺でおます。岡佐内という、奇人とよばれた蒲生家のおさむらいのお話でおます。上田秋成、雨月物語というたらお化けでおますな。こういうお話は夏の夜の納涼によろしおます。おまけに、この晩は雨模様でおましたさかい、なおのことええ心持でおました。
文三師匠の方は、まずは「延陽伯」でおました。東京で言う「たらちね」でおますな。上方のがもともとでおます。お公家さんに仕えておったせいで、ややこしいものの言い方をするお嫁さんの噺でおます。こういう、意思疎通が欠落したような噺、文三師匠のお得意でおまっせ。

大トリは「植木屋娘」でおました。商売の上では分別のついた植木屋が主人公なのでおますが、親としても商売人としても分別がついているくせにけったいなことをやらかす登場人物なのでおます。そこの役づくりがでけんと、単なる軽薄でけったいなおっさんにしかならしまへんのやな。
このあたり、最近の文三師匠の味やと思いますのやけど、この、いらちでけったいな植木屋が、なんとも憎めんリアリティと愛嬌と説得力を持って登場するのでおます。
噺家さんというのは、三十代の半ばまでは「上手い」だけで芸になるけれども、四十代、五十代となると、幅というか奥行きというか、人間の「ひだ」という描写がでけんと見劣りがしてしまうということやそうでおますな。「味」というやつでおまっしゃろか。器用なだけではおいつかん、清濁併せのむというか、矛盾が矛盾にならんというか、言うてるわてもわけわからんことになっておりますけれども、とにかくなんやそういうものが必要になってくるそうでおます。
「太郎寄席」の四十代の師匠がたも、毎回拝見しておりますと、四十代の落語から五十代の落語へと脱皮していってはるようにうかがえるのでおます。センエツではおますが、時には産みの苦しみみたいなこともあるのやないかとお察しするのでおますが、芸人さんというのは突然、「化ける」もんでおますな。お客様を、ぐっと引き込んで離さんのでおます。
まさと師匠はもう大ベテランなんでおますのやけど、よう勉強してはりますのやなあ。わても見習わんと、と思いますねん。太鼓たたいて愛想振りまくのも、勉強でおます。
今晩も、ええ会でおました。
さて「道頓堀 太郎寄席」、毎月半ばの「藍の会」はなんやマンネリになってきた感じもしますさかい、来月からはちょっと練り直してまいりますねん。秋には「文三三席」はじめ、「松の会」レギュラーの師匠がたの「三席」の会もやってまいります。
ぜひ、みなさんお運びのほど。わても客席に座ってお待ちしてまっせ。