いつの間にか夏も終わってしまいました。古い話ですが、こちらは初夏の「道頓堀 太郎寄席」のお話でおます。
皐月五月末の「道頓堀 太郎寄席」は桂文華師匠の会でおました。
わても席亭をしておりますといろいろな噺家さんとおつきあいしておりますが、なんというか、規格はずれという点ではこの文華師匠も指折りのようでおます。「太郎寄席」の文華師匠の会ももう五回目となりましてお客様もお馴染みになってきたせいか、師匠の落語会も八方破れになりつつあるような、そんな気配でおます。
文華師匠はゲストはんやら前座はんの人選にもやかましいようでおます。文華師匠に限らず、「太郎寄席」の特に松の会の方はみなさんやかましい方でおまして、前座からたいそうウケておるのでおますが、文華師匠の会の前座はんはひときわしっかりしてはります。
今日のゲストは桂寅之輔はんでおます。まだ入門してから四年半でおますのやが、そうとは思えん落ち着いたテンポでおました。

お噺は「大安売り」という、上方落語噺でおますが、負けてばっかりの相撲取りの、短い、軽い噺でおます。この、負けてばっかりの、しかしそれでもいっこうに懲りん様子の相撲取りを、うまいこと演りはりますのやな。寅之輔はん、楽しみな前座さんでおました。
さて、二番手に文華師匠でおます。今日は着物の話からマクラに入りはりました。噺家さんの着物は、六月になったら一重、七月八月は夏物、九月にまた一重になって、あとの季節は合わせということでおます。ほんで、今日は一足早く、「おニュー」の一重の着物と言うことでおました。

お噺は「仔猫」。お馴染みの怪談噺でおますが、なかなか難しい噺やと思いますねん。うんと怖がらせながら、ストンと落として笑わせる芸でおまして、高座と客席の一体感が何よりも大事になるような気がしておりますねん。
そんな難しい噺なんでおますが、文華師匠のは自由自在というか融通無碍というか、噺のあいだで「戎橋筋の昆布屋のをぐら屋さんというのは、落語の『三十石』に出てくる鬢付け油の『をぐら屋』からのれん分けしはった」とか、「人を遣えば苦を遣う」というくだりから先代文枝の思い出話とか、もう脱線だらけでおまして、ほんでお客様がまた落語好きのお方が多かったのかそういう脱線がいちいちウケまして、いったい何の噺をしてるのやらわからんようになりながら、やっぱり怖うて、可笑しいちゅう、何ともいえん名人芸なんでおました。
わても「仔猫」はいくつも聴いておりますが、こんなんほかにおまへん。
さて、次はおなじみ桂雀五郎はんの「くやみ」でおました。

おくやみに来たのかのろけに来たのかわけのわからん男が主役でおます。そのわけのわからん男はええとして、その相手をさせられる方の男を演るのはなかなか演りにくいやろと思いますねん。
ほんで、そういうところが雀五郎はんの「味」でおますな。困って言葉が出エへん、というところの「味」はほかにはおまへんのやが、その困った方の男を見ておるのが愉快という独特の芸でおました。雀五郎はん、いつも新鮮でおます。
ほんで大トリの文華師匠でおます。おしまいのネタは「あみだ池」でおました。

「仔猫」と「あみだ池」やったら、どっちか言うたら「仔猫」の方がトリの噺で、「あみだ池」いうたらもうちょっと軽い噺やと思うてますのやが、今日は二つ目に「仔猫」で、大トリに「あみだ池」なんでおました。文華師匠、やっぱり規格外でおますな。
この「あみだ池」いう噺は、噺の中身じたいはほんまにしょうもないと思いますねん。マジメな話をしてるか、おもたら単なるダジャレで落としますねん。そのダジャレもとってつけたようなダジャレで、別に膝を打つようなものでもおまへんねん。ただ、どこまでいってもバカバカしい、そういうおかしさの噺でおます。
それが文華節にかかると、こないに生き生きとするのか、というオドロキでおました。ほんまに型破りでおました。えらいもんでおます。会場のお客様の空気もあったのやと思いますねん。回を重ねるごとに独特の雰囲気の出てくる「太郎寄席」でおますが、文華師匠の会はひときわ濃い雰囲気でおますな。ほんまに、えらいもんでおました。