太郎寄席 生喬三席

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如月二月の太郎寄席、まずは笑福亭生喬師匠の「生喬三席」でおました。

生喬師匠、東京へお出での機会に何度か三席をやってはるのやそうでおますが、地元大阪での三席は初めてなんやそうでおます。去年、繁昌亭大賞をお獲りになりました。ますます充実の師匠でおます。


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三席寄席のええとこには、この格の師匠ではめったに聴く機会のない前座噺も聴けるところがおます。

だいたい、落語会、寄席ちゅうもんは、若い噺家から順番で出てまいりまして、わりと短うて易しい噺から順々にやってゆくもんやさかい、ベテランの師匠がそういう前座噺を演るという機会は少ないもんでおます。

 

今日もお馴染みのファンの皆さん、お客様でお越しでした。生喬師匠も「前座」らしゅう、着流しで高座へ上がりはったところから、和やかな雰囲気でおます。着物の話やら、前座時代に名前をちゃんと読んでもらえへんかった話やら、マクラから大笑いでおました。

一席目は「平林」でおます。丁稚さんが手紙をことづかって、宛名の「平林」の読み方を忘れる噺でおます。生喬師匠も二十年以上高座にかけてはらへんかったのやそうでおます。わて、前に師匠が「寄合酒」をかけるのを見たことがおますのやけど、たいていはあんまり上手いことのない若い噺家さんがやる噺も、生喬師匠の高座にかかると生き生きとして、ぐっと面白さが増したのでおました。

今日も期待しておりまして、期待どおりのユカイな噺でおました。去年亡くなりましたが、お師匠さんの松喬師匠は前座噺を大事にしておられたそうで、大トリで前座噺をかけるようなこともしてはったのやそうでおます。さすが、型破りな松鶴師匠の一門でおますな。それでも、大トリが前座噺で、ほんでお客様に納得していただけるくらいの噺にしよ、思うたらかえって難しいことやと思いますねん。

 

ゲストは女流の露の紫はんでおました。一昨年の秋にいっぺんお出ましでおました。

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紫はんも、芸名の話から夫婦の話、お匠さん、姉弟子さんの話と、マクラからよう笑わせてはりました。本名は「ゆかり」とおっしゃるのやそうで、「紫」はそれにかけはったのかと思うたら、ただの偶然なんやそうでおます。

 

中トリは、生喬師匠の「喧嘩長屋」でおました。

夫婦喧嘩にはじまって、兄貴分を巻き込み、大家を巻き込み、長屋中が喧嘩になってゆく噺でおます。だいたい、喧嘩なんちゅうもんはどうでもええことにこだわるところからはじまって、理屈がはずれたところから大きゅうなってゆくもんでおますが、その、理屈がはずれるところで、「ちょっと待ちイな」と言わせてしまうと喧嘩にならしまへんのでおますな。「ちょっと待ちイな」と思うても、そない言い出されへんような雰囲気、テンポ、それでなけりゃ火に油ということにはならんのやろと思いますねん。

落語ちゅうのは、それを一人でやるのやさかい、あれれ、あれれと思ううちに喧嘩が大きくなるというのは、なかなか難しいことでおまっしゃろな。

 

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中入りを挟んでの大トリは「怪談猫魔寺」でおます。町はずれのお葬式の夜伽が舞台でおます。町はずれ、村はずれの夜伽というのは上方落語ではちょいちょい出てくる設定でおまして、仏さんというのも「お小夜後家」ちゅう一人暮らしやったお婆さんに決まっておるようでおます。

怖がりの男と、ふつうの男と、物知りの男が登場いたします。この物知りの男が、酒をちびちびやりながら怖い怖い話をするのでおますが、怖がらせようとしてやっておるわけではなくて、ただ、そういうことがあるのやという話しなのでおます。その、なんちゅうか落ち着きぶりというか不気味さというか、それが軽い調子の怖がりの男と対照的でおまして、話し手がかわるたびに面白いのでおます。そない長い噺やおまへんのやけど、聴きごたえたっぷりの、寒い冬の夜にぴったりの怪談噺でおました。