2012年10月アーカイブ

わての地元の道頓堀に、道頓堀水辺地権者会、という会がおますねん。うちとこの「くいだおれ」もここに参加しておりますねん。
この水辺地権者会が定期的に川掃除の催しをしておりまして、わても参加してきましてん。船を出して、道頓堀川を行き来しながら、川に浮かんでいるゴミを拾ってまわりますねん。どなたでも参加できましてな、ゴミ拾いとはいうものの、ふだんあんまり乗ることのない船でやるもんやさかい、ちょっと楽しい催しでおます。

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ちょうどこの日は道頓堀の川辺で、もうひとつ、大阪・ミナミの商店会連合が主催してはるイベントがありまして、水辺地権者会も連合に入っておるさかい、そちらの応援もしてまいりましてん。道頓堀川の川べりのデッキウォークで、東北復興のチャリティーバザーをしましてん。こちらのバザーとセレモニーは、「道頓堀 太郎寄席」の道頓堀Zazaはんが制作してはりますさかい、地元の、まあいうたら町のイベントでおますねん。

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道頓堀いうところは大都会の真ん中なのやけれども、案外こないなコミュニティもおまして、地元の皆さんも、目立たんところでこないなことをやってはりますねん。ええお話でおます。

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おなじみ「道頓堀 太郎寄席」9月の会、まず今月の「藍の会」は桂三弥はんの会でおました。前回、8月の会では「くもんもん式学習塾」という、新作噺をかけはりました。
三弥はんは、声がよろしおますな。なかなかにどすの利いた、渋い声でおますねん。
今回の出し物は「竹の水仙」と「寝床」でおました。
「竹の水仙」は、宿屋へ泊まった大酒呑みの客が亭主に催促されて金の工面をするという噺でおます。竹で細工物をこしらえまして、これを店の前に出しておけば何百両で売れるという。そんなアホな、という話でおまして、宿屋の亭主も、使いの侍も「何百両なんてそんなアホな」という展開なんでおますが、結局、何百両で売れますねん。
この大酒呑みの客というのが実は名匠・左甚五郎、という筋書きで、左甚五郎はほかにも「ねずみ」という、これまた宿屋が舞台になる人情噺に登場しておりますが、こちらの「竹の水仙」に描かれるほうが、いかにも豪放磊落でおますな。なんや、ふつうの人間のスケールから外れているところが、また三弥はんの声とよう合うのでおます。
「寝床」は、おなじみ浄瑠璃好きの旦那が、店子を集めてへたくそな素人浄瑠璃を無理やりに聞かせるという噺でおます。設定は「へたくそな素人浄瑠璃」なのやけれど、ほんまにへたくそやと聴いておられませんので、噺をかけるほうの噺家さんはそれなりに魅力のある浄瑠璃を聴かせんとあかんわけでおます。
そこで、また三弥さんの声がよろしおますな。浄瑠璃というのは、やっぱり声が大事なんでっしゃろな。どすの利いた声といえば、来月ご出演の笑福亭生喬師匠もええ声でおますけど、こちらはどちらかというとお侍とかお奉行とか、そういうかっちりした世界が似合うような気がいたしますねん。三弥はんは逆に、ふつうの基準からはずれたところが合うような気がしますねん。
次のご出演も楽しみでおますねん。


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さて、「松の会」の方はこけら落としからのお馴染みの、桂文三師匠の会でおました。
お噺は「後家馬子」と「稽古屋」。どちらも噺のサゲ(落ち)はどないでもええような、そこまでの筋と関係ない終わり方で、無理やり終わるような噺なんでおます。
ということは、何を見せるか聞かせるかというたら、噺が進んでゆくうちの描写そのものちゅうことでおますな。
「後家馬子」は、孝行娘を持った長屋の後家さんが主人公でおます。髪結いの娘さんに小遣いをせびる後家はん、若い男ができて、ちょっとした事件が起きたことで義理の弟が意見をしにゆくと。
娘の稼ぎをまきあげる、若い娘にしてみれば自分の父親と違う男が出入りする、そこへまた亡くなった亭主の弟が意見しにゆく。今の時代ではピンとこんようになった機微もあるかもしれまへんが、ともかくちょっと険悪なやりとりになったところで、どっと力が抜けるようなサゲなんでおます。これはもう、「次、どないなるんやろ」と、人情噺みたいなハッピーエンドみたいな結末を期待しはったらあきませんねん。あくまで、人間のリアルなばかばかしさを味わうのがこの噺の魅力やと思いますねん。
たぶん、この「後家馬子」というネタは、若い男にうつつをぬかす後家はんと、まるで正反対な生真面目で親孝行な娘はんをどない描くかというところが肝心やと思いますねん。
女性の描写というたら文三師匠のお得意でおます。孝行娘はいかにも清々しく甲斐甲斐しく、憎々しいはずの後家はんは、そやけど、なんやよう憎めんのですな。ここで後家はんが憎々しいだけやったら、サゲが成り立ちませんねん。しょうもないような、とってつけたようなサゲで、あははと笑わすようなお噺でおました。

大トリの「稽古屋」というのは、上方らしい、鳴り物がたっぷり入るお噺でおます。女にもてたいと思うて、稽古事を習いにゆく男の話でおますのやが、筋らしい筋いうもんがおまへんねん。清元のお稽古に行くまでと、稽古の先でのやりとりがすべてでおますねん。
そやさかい、この噺の華は清元のお稽古の場面でおます。
清元のお師匠はん、三味線のお師匠はんというのは落語にもよう登場します。だいたいがちょっと年増のええ女子はんと決まっております。稽古にゆく連中もお師匠はんが目当てやさかい、お師匠はんの方も人のあしらいにたけておりますねんな。
「稽古屋」の方はお師匠はんが目当てなわけやないさかい、それはそれで難しいのやろと思いますねん。お師匠はんが目当ての噺なら、そのお師匠はんはいかにも魅力的な女子はんとして、噺を聴いているもんに、どんなええ女子はんやろ、と思わせるようでなけりゃあきませんのやろけど、今回はお師匠はんがお目当てやおまへんねん。
ほたら唄が上手いだけでええかというと、そうでもおまへんのやろな。どんなええ女子はんやろ、と思わせてしまってはあかんのやけど、かといって魅力がなければお師匠はんというキャラクターが成り立ちまへん。そのあたりの加減が、文三師匠はまた上手いんでおますな。どこまで考えてやってはるのかはお聞きしたことはおまへんのやけど、きっと、あれこれ考えてやってはるのでおまっしゃろな。

「太郎寄席」は小さい会でおますのやけど、毎回毎回、下座には生のお囃子さんに入ってもろうてますねん。マイクも使わんと生やさかい、糸の音、唄の声、なんともいえん華やかさがあってええもんでおます。東京の落語は鳴り物を使わんのがほとんどなのやそうやし、落語に鳴り物を入れると余計なものを入れるように思われる方も多いようでおますけれども、確かにただ鳴り物が入っているだけというのはあきまへんのやけど、こないしてぴったりはまると、それはええもんでおますねん。
文三師匠のお師匠はんの五代目文枝師匠も、こういう艶のある噺をお得意にしておられましたが、文三師匠もそういうところ、よう受け継いではりますねん。

太郎寄席、藍の会、松の会と毎度毎度中堅若手の噺家さんとお話をしておりますと、みなさんそれぞれに隅々まで考えてやってはりますねん。また、そういう隅々まで考えたところを、冒険でもええからやっていただくのがこの「道頓堀 太郎寄席」やと思うております。
幸い、毎回お運びのお客様は落語のお好きなお客様が多いようで、そういう噺家はんの試みやら意気込みやら、また噺家はんご本人が「失敗した」と思うてはるようなところまで楽しんではるようでおますな。みなさん、エエカゲンな芸には厳しいのやろけど、ちゃんと考えてやってはる試みについては、ええ理解者ぞろいでおますな。
わても、そういうええお客さんにまじって聞かせていただくのは楽しいことでおます。

そろそろ、「道頓堀 太郎寄席」も1年を迎えます。寄席としてはまだまだやさかい、ことさらに一周年ということをやるほどではおまへんが、続けて参りたいと思うておりますねん。
どうぞ、今後ともご贔屓のほど、よろしゅうおたのもうしますねん。

もうすっかり秋になってしまいましたのやけど、「太郎寄席」の8月のお話でおますねん。
えらい、遅うなって申し訳おまへんねんけど、この会のことはやっぱりお話ししとかんとあきませんねん。

8月の「道頓堀 太郎寄席 松の会」は、この春に襲名しはった、桂こごろう 改メ 桂南天師匠でおますねん。
わてはこごろう時代から2,3年拝見しておりますのやけど、やっぱり襲名というのはえらいもんでおますな。ここ1年ばかり、ぐっと芸に凄味が出てはりますねん。

前座の桂そうばはんが、ざこば師匠に「破門や!」言われて往復切符買うてもろてただの里帰りになった話も面白うおましたし、ゲストの笑福亭喬若はんの、「長短」という、極端に気の長い男と気の短い男の噺も愉快でおましてんけど、今回のお話はやっぱり南天師匠でおますねん。

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南天師匠のお噺、まずは「つぼ算」でおました。壺屋に壺を買いにいって、勘定をうまいことごまかして、小さい壺の値段で大きな壺を買う話でおます。噺のしまいのところで、うまいことごまかしたろ、という徳さんと、ソロバンが合うてるようなけど、銭函の銭が合わんと首をひねる番頭のやりとりが面白うおますねん。
観てる方はすっかりわかっておりますねん。そやさかい、番頭がいつ気づくか、気づかへんか、と思わせるところをしつこうやるのが見せ所でおます。

落語、特に上方落語というのはそういうところがおますな。わかってある繰り返しを延々とやるのやけど、わかってるのに面白い。これが、下手な噺し手やったらあきまへんねん。わかったさかい、先へ行っておくなはれ、ちゅうような感じになってしまいますのやが、上手がやると、わかってるのやけどなんぼでも聴いて、笑うてしまいますねん。

南天師匠は、ゲジゲジの眉毛も上手いこと使うてはりますねん。この番頭が、賢いような、アホなような、わかったような、わからんようなところの表情がよろしおますねん。

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もう一つのお噺は、大トリでおます。「だんじり狸」。小佐田定雄センセイの作品でおますな。夏らしい、ちょっとお化けっぽい噺でおます。怪談噺でおまっしゃろか、人情噺のハンチュウでおまっしゃろか。子供を喜ばそうと思うて、雨の晩には狸がだんじりを鳴らすのや、いうたおっさんが、自分でやらんならんことになって、よう続かんようになったある晩、ほんまに狸がだんじりを鳴らした、ちゅう噺でおます。

最近の南天師匠は、こういう、シン、とした演出の怪談噺がお得意なような印象がおますねん。いただいた色紙には、「ひょうひょうと生きる 二代目桂南天」とおましてん。次回のお出ましが楽しみでおますねん。
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