「道頓堀 太郎寄席」、7月の松の会は笑福亭鶴二はんでおました。
このお方も落語の職人さんでおますな。つかみも上手でおますし、お噺も風情がおますねん。
最初は「遊山船」というお噺でおました。大川の、北浜のところ、天神橋のひとつ川下側へかかる難波橋から、遊山の船を見物する噺でおます。鳴り物が入って、賑やかな、華やかなお噺でおますのやが、お噺に筋らしい筋がおまへん。遊山の船でごちそう食べるのを覗きながらあれやこれや言うだけのことでおますねん。
こういうお噺を面白う聞かせるというのも、上方落語の華でおますのやろな。7月の松の会は、ちょうど天神さんのお祭りの頃でおました。大川に船、というたら、今の世では天神さんの頃くらいのことでおまっしゃろか。
天神さんの船でもごちそうが出るのでおますけれども、遊山の船のごちそうをこと細かに言うているのを聞いてると、ほんまになんやそんな華やかぁな気分になるのでおますな。そこに、生の三味線がまた華をそえて、ええもんでおます。
筋らしい筋のないお噺でおますさかい、これでひきつけるというのは、やっぱり相当な実力がいるのやろうなと、わてこない思いますねん。鶴二はん、ええお噺でおましてん。
今日はここで中入りでおまして、そのあとにゲストの桂文鹿(ぶんろく)はんでおました。
文鹿はんの出し物は「代書屋」でおました。「代書屋」でおますか。難しいお噺でおますな。
なんで「代書屋」が難しいかというたら、三代目桂春団治師匠の「代書屋」があまりにも完成度が高いからでおますのや・・・。わても、いっぺん春団治師匠のンを見たことがおますのやけど、それはそれは見事なもんでおました。
高座の上にぽつんと座ってはる春団治師匠が、たった二人しか出てこん、それもあちらこちらへ動くのやなしに、代書屋の店先でやりとりをするだけのお噺をしてはるのですが、それに800人からのお客さんが一心に引き込まれて、シーンとしとるかと思うと、師匠の表情一つ、しぐさひとつで大爆笑しておりますねん。支配人のお話では、その時はお客様も良かったということでおますが、えらいもん見させてもらいましてん。
たぶん、大方のお客様も同じことやろうと思います。ほんで、文鹿はんもさすがに「春団治師匠のマネになってはいかん」ということで梅団治師匠に稽古をつけてもらいはったのやそうでおますけれども、やっぱりむずかしおますねんなぁ。桂枝雀師匠の口演も録音で残っておりますが、すっかり変えてやってはりますねん。
まあまあ、太郎寄席というのは、噺家さんがふだん試されへんことを大胆にやっていただく場にしておりますので、どんどん挑戦していただいたらけっこうなんでおます。どんどんこういうのをやっておくなはれ。
さて、鶴二はんの大トリは「ねずみ」でおました。
これはどちらかというと東京の噺家さんがようかけはる噺でおますな。人情噺でおます。身体を傷めてから、後妻にだまされて追い出された大きな宿屋のご主人のお話でおます。
東京の噺家はんや、熱心な落語ファンの方々は人情噺がお好きなようでおますな。お好きというより、崇拝しておられるようで、あるお方からうかがった話では、「笑いたくて来てるんじゃねえや!」なんて啖呵も切りはるそうな。確かに、落語は単純な「お笑い」と違うて、風情やら芸やらというのが魅力なんでおますが、わてはやっぱり落語では笑いとうおまっせ。
このお話は、体を痛めた旦那さんと、そのまだ小さな息子さんと、ほんで主役として登場する左甚五郎の個性の違いが魅力でおますねん。そこに、しんみりしたり、スカッとしたりするところが出てくるのでおますが、しっかり笑わすことも忘れてへんのが上方の噺家さんでおますな。前にお出ましいただいた笑福亭たまはんの「芝浜」もそうでおましたが、鶴二はんの「ねずみ」も、たぶん東京の噺家はんはこうはやりはらへんやろな、っちゅう噺で、わてもえらい楽しませてもらいましてん。
どこがどう、というのは難しおますねんけど、細かいところのくすぐりが、よう行き届いておますねんなあ。会場のお客さんとの距離感なんでおまっしゃろか。そういうことならこの「太郎寄席」の小さな小屋は満点でおまっせ。それでいて、本筋の人情噺のところは、ピシリと折り目正しいのでおます。
「太郎寄席 松の会」にお出ましのほかの噺家さんの口ぶりでも、鶴二はんはかなりソンケイされているようにうかがえましてんけど、なるほど「格調」というものを感じさせるお噺でおました。
梅雨明けのお暑い中、道頓堀までお越しいただいたお客様にも、御礼申し上げます。引き続きまして「道頓堀 太郎寄席」、どうぞご贔屓によろしゅうおたの申しますねん。