「道頓堀 太郎寄席」4月の松の会

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 ちょっとのんびりしてしまいましてん。
 けど、「道頓堀 太郎寄席」はちゃんと開催しておりますねん。

 4月の松の会はおなじみの笑福亭生喬はんの回でおました。

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 まず、前座は桂鯛蔵はんで、お噺は「代脈」でおます。
 「代脈」というのは、えらいお医者の先生の代わりをつとめるお医者さんのことなのやそうでおますが、このお噺ではもう、どないしようもないスカタンの見習いの代脈でおます。患者はんを診ることよりも、まんじゅうが出てくるやとか食べてもええのやとか、そんなことばっかり考えておる代脈でおますのやが、なんや、ちょっと共感してしまいましてん。鯛蔵はんが、いかにも似合うてはるからでっしゃろか。患者さんというのが、商家の可愛いらしいいとはんやというところも、ちょっと楽しいお噺でおます。

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 つづいて生喬はんは「鰻谷」というめずらしいお噺でおました。心斎橋の方に「鰻谷」という地名がおますのやが、それとからめて、なんで「うなぎ」っちゅう名前になったという、生喬はんによれば「9割デタラメ」のええかげんなお噺でおます。
 こういう珍しゅうて、エエカゲンな噺こそ、太郎寄席にふさわしおますなあ。
 今はあんなとこで鰻が取れたいうてもピンときまへんけれども、江戸時代は長堀通りは大きな堀川やったさかい、「心斎橋」もほんまに橋でおましてん。そういえば、最近淀川の鰻が新しい名物になるのやそうな。昔はあんな新淀川はなかったさかい、キタの大川が淀川の本流でおましたのやな。わても、長堀の鰻、食べてみとうおましたなあ。

 今日のゲストは桂三金はんとお知らせしておりましたのやが、急なご都合で、桂まん我はんが代役でおました。お楽しみのお客様には申し訳おまへんことでしたけど、まん我はんも「太郎寄席」がおすすめする噺家はんでおます。

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 まん我はんは去年のこけら落としの「文三三席」以来のご出演でおます。お題は「書割盗人(かきわりぬすっと)」いうて、東京では「だくだく」と言いますのかな。長屋の部屋の壁いっぱいに書割、芝居の背景と同じでおますな、それで調度を描かせておいたところに盗人が入りますのや。この盗人がまた酔狂な奴で、調度があるつもり、の家へ入ったのやさかい、「盗んだつもり」になってやるというばかばかしい噺でおます。
 そやけど、こういうあほらしい噺がおもしろおますな。この噺は、いかにもそれらしく絵を描くしぐさのところがまた見どころでおますねん。そやけど、わて、いっつも不思議なんでおますけど、お灯明の絵を描くところがありますのやが、真っ暗やったらさすがにお灯明には見えへんと思うのでおます。そやけどそういうエエ加減なところが、また噺の面白さでおますねん。

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 ほんで、大トリの生喬はんは「子猫」。これはまた、難しい噺でおます。怪談噺でおますのやが、どこでどうくすぐって笑わすのか、おなべという主人公の女子衆(おなごし)はんをどないして描くのか、噺家さんそれぞれの工夫があることなのやろうと思います。
 生喬はん、前にも「蔵丁稚」いう、商家の噺をしてはりましたが、丁稚はんの描写に独特の面白さがあるように思うんでおます。生喬はんの小さい頃はこんなんやったんやろか、いうて思うような、というたら失礼でおまっしゃろか。こういう、芝居がかった噺、お上手でおますなあ。
 今日はマクラで、なんで「生喬」いう芸名になったのか、いう話がおましたのやが、毎度毎度、お師匠はんの松喬師匠のお話を聞くと、エエカゲンなお方なのか、そう見せてよう考えてはるお方なのかさっぱりわからんようになりますねん。きっと、生喬はんにもようわからへんのとちゃいますやろか。
 ひきつづき、太郎寄席、どうぞよろしゅうお運びのほど。