2011年1月アーカイブ

 このごろ、新聞にもようけ載っておりますが、今年は日本にスキーが伝わって100周年やそうですな。
 その、日本にスキーを伝えた「レルヒさん」のお招きで、わても新潟県のスキー場へ行って参りましてん。

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 「レルヒさん」はその時代のオーストリアの軍人さんで、交換将校やらいう制度で日本においでになったときに、「こんなに雪があるのに、スキーで遊べないのはもったいない」言うて、スキーを伝えはったのやそうな。スキー、いうたら、上へ上げてもろて下りてくるだけのことかと思うてたら、もともとは雪の上を歩くための道具でおますねんな。ほんで、日本の陸軍がその技術を取り入れて、だんだん盛んになったっちゅうことですねん。

 レルヒはんがいてはった上越は、もともと関西からのお客さんも多かったそうな。もともとは、江戸時代に加賀のお殿さんが参勤交代で通る道で、温泉があってにぎわってたところに、雪がええというので早うからスキー場がでけたそうですな。
 ほんで、去年の秋にレルヒはんがわざわざ大阪まで来てくれはって、わてもご招待してくれはりましてん。そやけど、わて、スキーなんかすべられしまへんで、いうたら、ワタシがオシエマス、言いはるさかい、わて、雪景色も知らんし、ひとつおじゃましてみることにしましてん。

 しかし、またえらい雪でしてん。
 まんがええのか悪いのか、この冬一番いう大雪で、飛行機は飛ばんようになるわ列車は止まるわ、えらいことやったけど、わてはこんな雪見るのも新潟県ちゅうとこも初めてやさかい、楽しおましてん。わら靴履いて、首巻きして、完全防備でっせ。大阪ではなんぼこの冬一番いうて雪が降ったかて、ここまでは積もらしませんで。これだけの雪がいっぺんに降るというのは、さすがにこの妙高でもそないしょっちゅうやあらへんらしいけど、ええ経験さしてもらいましてん。

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 それにしてもスキーのお客さんいうのは、朝が早よおますな。8時半からリフトが動いたら、もうえらい行列や。レルヒはん、ミョーコーはん、クロベエはん、えらい上手いことスキーで滑りはりますな。今のスキーは杖2本で滑るけど、レルヒはんのは1本杖やそうな。保存会のお方々は昔ながらの衣装で袴はいて、器用なことですなあ。

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 わてはやっぱりスキーはあかんなあ、思うてたら、レルヒはんが、「スノーシューやりましょう」言うので、試してみましたんや。昔でいうかんじきですな。写真みたら、わて、えらいへっぴり腰でおますな。恥ずかしおますな。ちょっと怖おましたけど、楽しおましてん。

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 余興に、カレーのコンテストもおましてな。これが、えらいまた力作ぞろいでしてん。スキー場いうたら、カレーが人気らしいですな。「くいだおれ」でもカレーは力入れて作っておりましたけど、妙高の「選手権」もみなさん力はいっておりましたな。お客さんの投票で、優勝を決めますねんけど、わて、審査委員長さしてもらいましてん。スキー場いうところはいろいろと楽しおますな。

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妙高には「レルヒさんの神社」いうのんもあって、今回泊まらしてもろうた宿の入り口に「レルヒさん」の人形とお札が祭ってありまして、横へわての人形もいっしょに祭ってもらいましてん。

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 雪遊びもええもんですな。わても、もうちょっとスキー、覚えよかな、思うてますねん。新潟県、また遊びに行きとうおますな。

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今年は大阪も寒いお正月でおましたなあ。
そやけど、大阪は正月から賑やかですねん。

大阪のお正月というたら住吉さん、天満の天神さんも賑やかやけど、わてら商人(あきんど)にとっては、なんというても「えべっさん」、戎さんですねん。

えべっさんのお祭は、「十日戎」言うて、毎年一月十日と、その前と後の三日間ですねん。

戎さんは、大阪と西宮とあって、西宮のえべっさんは、毎年十日早朝の「福男」の競走が有名やけど、大阪のえべっさんの名物は、九日の「宵えびす」の「宝恵籠(ほえかご)」行列ですねん。役者さんやら芸妓はんやら、華やかな籠を連ねて行列参りしはりますねん。

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今年は、わてが太鼓叩いてる中座くいだおれビルの前に停まって「大阪締め」してくれはる、いうことやさかい、わても早起きして張り切っておりましてん。Zazaからも若手の芸人さんが10人ばかり出てきてくれて、みなで待っておりましてん。

朝の十時すぎに、籠の行列が戎神社にお迎えに行って、そこからもう行列が始まっておりますねん。
十時すぎに、行列が戎さんを出発して、10分くらいで道頓堀までやってきますねん。
「ほえかご、ほえかご」いう掛け声も風情ですなあ。
今年は、NHKの連続ドラマ「てっぱん」の瀧本美織はんも乗ってはりましてん。可愛らしおましてん。

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ほんで、行列が、中座の前へ停まって、大阪締めですねん。
大阪締め、ご存知の方はまだ少のうおますかな。「打ちましょ」、いうたら、手拍子ちょん、ちょん、「も一つせぃ」でまたちょん、ちょん。最後に「祝うて三度」で、ちょ、ちょん、ちょん、と打ちますねん。

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わてとこは、また白鶴酒造さんに菰樽と、わての「純なお酒」を出していただいて、宝恵籠のあと、振舞い酒しましてん。

中座で振舞い酒いうたら、昔、まだ中座に大きな芝居があった頃を思い出しますなぁ。毎年、お正月の二日に、えらい役者さんたちが表へ出てきはって、菰かぶりの鏡開き、振舞い酒となって、そら賑やかでおました。 
これから、また、中座で振舞い酒続けてゆけたらよろしおますなあ。

さあ、いよいよ平成23年の子(ね)の年もはじまりますな。
暮れには、わてのおみやげの店と、わての人形焼きもできましてん。
この人形焼きは苦労しましてん。わての姿がわかるような形に作ってもらうのにえらい時間がかかりましてん。おかげでユカイなものができましてん。
形もユカイやけど、もっと自慢なのは味ですねん。いっぺん食べてもろたらわかりますねん。粉とミルクと玉子とハチミツで作っておりますねん。水は使うてないとこが、原価のかかってるとこですねん。
道頓堀へお越しになったら、ぜひ試食してほしおますねん

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今年も、どうぞよろしゅうおたのもうしますねん。わても、また一年、道頓堀で太鼓叩いてお待ちしておりますねん。

 「七味線ブラザーズ」の次の週末には、またまた「くいだおれ太郎 presents The Vaudeville(ザ・ボードビル)」いうのをやりましてん。今度は3日連続でおますねん。ボードビルいうたら、西洋の演芸ですねん。

今回の主役はハッチハッチェルバンドいうて、東京のバンドですねん。今年の2月に有山じゅんじはんと一緒に出てくれはった、わての友達のバンバンバザールのそのまた友達ですねん。バイオリン弾いて、歌って、踊りはりますねん。そこにまた、バンドがぴったりとよう合うておりますねん。

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ちょっと見には、コミックバンドみたいに見えますねん。ほんまに笑って踊れるバンドですねん。そやけど、ほんまは、このバンドは音楽のことをほんまにようわかってやってはりますねん。2拍子あり、3拍子あり、4拍子あり、西洋のメロディー、東洋のメロディー、ロシアのメロディーあり、涙あり、笑いあり。いろんな感じや気持ちや人生をうまいこと音楽で表現しはるこの腕前は、ほんまに感心しますねん。

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歌の中身も、「人生はつなわたりの旅、終わりまで楽しもう」やとか、「悲しみは終わった、探し求めた夢はこれ、あの街の教会の鐘を鳴らそう、おれは歌でいっぱい、あなたは微笑みでいっぱい、ああ、祝福あれ、調子っぱずれに!」やとか、「ラン、タバタバ、ラン、タバタバ、花束、受け取ってちょうだいな。こんな日を待っていた。月明かりのなだらかな海、魚もクジラも恋をする夜。いいことなかった日々がまるでウソのよう」なかなかお芝居がかかっておって、ちょっとひねってあって、詩的で、文学的でおますねん。
「ハンサムでも、頭よくても、脚が速くても、ハングリー精神がなければ、ゴミ同然! お腹すいたら、私のとこにきなさい、美味しいものつくってあげる、お腹いっぱい」いうて紅一点のまゆみはんが歌う「ハングリー精神のうた」なんかは、なかなか今の時代に合うた歌やなあと思いますねん。「暗い部屋に一人きりで、よからぬことを考える。マジメにやってたつもりだったが、なんとも結局、監獄。こりゃどういうことだ。涙も出やしねえ。頭にきちまうぜ。住めば都だけど、寒いぜ」いう「独房のブルース」も、人生の不条理を感じさせるなあと思いますねん。

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いうてみたら、三文オペラのたぐいでっしゃろかなあ。お芝居みたいな、ミュージカルみたいな、ドラマチックでユカイなステージですねん。東京のバンドやけど、大阪にも熱心なファンがいてはりますねん。わても、すっかり惚れ込んでしまっておりますねん。もっともっと応援してゆきたいと思うておりますねん。

ほんで、今回はゲストも面白うおましてん。

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初日のギターパンダはんは、ほんまにパンダの衣装着て、ギター弾いて歌いはりますねん。けったいなカッコやけど、気持ちのええロックンロールですねん。バンバンバザールのお友達ですねん。

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二日目のゲストは餃子大王はんでしてん。20年前に、教育大学の学生はんのときにでけたバンドで、大阪ではえらい人気でおましてん。
餃子大王はんを紹介してもろうたのはほんまに偶然でしてんけど、実は餃子大王はんは、東京のUKプロジェクトの最初のアーティストですねん。そやさかい、わての大大大センパイでおますねん。「ゆず」が出るまでずっと、UKプロジェクトのヒット記録をもってはりましてん。わて、一緒の舞台に上がらしてもらって、光栄でおますねん。
この日はギターパンダはんも飛び入りでギター弾きに出てきはりましてんけど、これがまたカッコよろしおましてん。打合せなんか何もなしでしてんけど、ギターの音も、弾いてはる姿も、カッコよろしおましてん。衣装は着てなかったのやけど、そやからカッコ良かったのかもしれませんな。

また、道頓堀Zazaに呼ぼうと思っておりますねん。みなさんにも聴きに来てほしおますねん。理屈ぬきに楽しめること、請け合いまっせ!

わての仲間のクリエーターはんがYouTubeに上げてくれてはりますねん。チェックしてみとくなはれ!

「つなわたりのうた」
「独房のブルース」
「できそこない行進曲」
「花束とメロディ」

 またまた「くいだおれ太郎 presents 」ですねん。

 12月11日に、道頓堀Zazaで、「七味線ブラザーズ」やりましてん。この夏にやった、国本武春はんと清水興はんのユニットを、三味線とベース、合わせて弦が7本やさかい、「七味線ブラザーズ」と名付けましてん。
 8月には、「大阪名物くいだおれ」が開店してから、わてが生まれるまでを歌うた「FUNK くいだおれ」をご披露しまして、今回はその続編のご披露ですねん。

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 2段目は、わてとこの先代が世界旅行をしはって、いろんなものを持って帰ってきはったお話ですねん。昭和20年代のこっちゃから、まだまだ外国旅行なんて思うようにでけません。ある団体の募集があって、国や県の議員はんが招かれましてんけど、わてとこの先代は、自分でお金をこしらえていっしょについて行きはりましてん。今のお金にしたら、1千万円くらいにはなりましたやろか。カメラメーカーの社長はんやら、後に総理大臣になりはった方やら、いろいろなお方とご一緒やったそうな。
 ほんで、コーヒーの自動販売機やら、テレビやら持って帰ってきた、というお話ですねん。
 当時は自動販売機なんてもんがまだ日本におまへんねん。アメリカ製やさかい、硬貨も使われへんことがわかって、両替する人を横へ立たせたり、紙コップも規格が違うやとか、湿気で粉が詰まるやら、いろいろ大変やったそうなけど、珍しいもんやさかいたいして損もせんと、続いたそうですねん。
 その次には、テレビを買いはりましてん。アメリカでは労働者の家にもテレビがあるのや、これからはテレビの時代や、いうて、テレビを買うて店頭へ据えつけはりましてん。今のお金で、さあ、何百万円という買い物でおましてんなあ。ところが、スイッチを入れても何も映りませんねん。なんでや、いうたら、まだ実験放送しかしてないもんやさかい、番組がおまへんねん。昭和27年のことでしてん。NHKで放送が始まったのが、翌年のことでしてん。

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 3段目は、ブロイラーのお話ですねん。
 これはあまり知られてないことですねんけど、日本でブロイラーをはじめたのはうちとこの先代ですねん。昭和30年代にもういっぺん世界旅行をしはったときに、ブロイラーいうものを見つけはりましてん。
 そのころは、日本の漁業が根こそぎに魚を獲るもんやさかい、世界中で問題になっておましてん。ほんで、先代はんはこれからの日本人のタンパク源をさがさなあかん、いうてアメリカやらヨーロッパで市場を見て歩いておって、見つけはったそうですねん。
 ほんで、農林大臣を動かして、ブロイラーの視察団を組織して、ブロイラー産業を日本にもってきはりましてん。アメリカの研究者やら、業者やらに会うてまわって、ブロイラーに合うた品種の鶏を輸入して、機械も輸入して、ニワトリが病気にならんようにするための医学も勉強して、ほんで農協を作って、セリの市場を作って、会社も作りはりましてん。
5年後に売上100億円の事業にします、いうても誰も笑うて相手にしてくれんかったそうですねん。今で言うたら2,3000億円くらいですかな。そやけど、ほんまに4年の間に何十億の産業になりましてん。そのかわり、いっぺんに事業が大きゅうなってしもうたものやさかい、資金繰りが追っつかんようになって、くいだおれとしてはブロイラーを手放したいうことですねん。

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 そんな歌を国本はんに作ってもらいましてん。この「くいだおれ物語」はまだまだ続きますねん。国本はんと清水はんのチームワークもバッチリ決まっておりますねん。
4月に続きをやることにしておりますねん。またみなさん、聴きに来てほしおますねん。

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